先の『経済学の基本』で、国の借金は「踏み倒しもOK、更に借金もOK」と言い、最後の方で、「GDPは民間投資(銀行からの借金)と政府の借金(日銀からの借金)の量で決まる。 誰かがもっと借金をしなければ、GDPも税収も落ち込むのです」と結論づけましたが、それを証明してくれるようなグラフが見つかりました(図1参照)。

図2、日本のGDPの推移
図1は 経済評論家で株式会社クレディセゾン主任研究員の島倉原氏によるものですが、見て分るように日本政府の債務残高(いわゆる国の借金と言われているもの)は、指数関数的な割合で増えていますが日本は未だに破綻していませんね。
ついでに、1870年から1980年までの日本のGDPの推移を図2(注1)に示します。かなり図1の実質債務残高(赤破線)の上昇とGDPの上昇が重なっている事が分ると思います。つまり日本のGDP上昇の原動力の殆どは国が借金して市場にお金を増やしてくれたからです。
国内総生産(GDP)=民間の消費+民間投資+政府支出+純輸出 の式には民間投資もGDPの要素に加えられていますが、長期的に見ればGDPが上がる要素の大部分は政府支出、即ち国の借金です。何故なら企業は借金を返済しなければ破産するので頑張って返済しますが、返済するとなると利子分借りた金以上を返済しなければならないので市場のお金は減って行きます。それに対して国は破産どころか更に借金をすることが出来、市場のお金を増やす事が出来るからです。
従ってGDPを上げるには国の借金が不可欠です。とは言っても、ベ○ズ○ラのように自国通貨を増やそうにも物価上昇率250万%の超インフレになってしまう国もあります。理由は国民の生産能力が低いので、いくら需要があっても供給が需要を満たすことが出来ないからです。
また国民の生産能力が高くても国民に欲が無く、自国通貨を増やしてもただの金余りになってしまう国が有るかもしれません。欲を失った飽食のニートばかりの国を想像して見て下さい。GDPは欲望の指標でもあるのです。しかし需要は国民個人の欲望だけからとはかぎません。国民が飽食のニートばかりだったとしても、国民に国を理想郷に造り上げたい欲望が有れば、その需要に国は答えて財政出動してGDPを上げることは出来ます。
そこで本題の『GDPを上げる意義は国防のため』を説明します。例えばブータン。ブータンは GNH(国民総幸福)という、国民の幸福度を上げることを国の目標に掲げています。確かにGDP(国内総生産)が上がっても、それを国民が幸せと感じるとは限りません。ブータン人は衣食住さえ得ることが出来ればそれ以上の欲は無く、別のところに幸せを見つけているのでしょう。
しかしです。そのブータンの国土を掠め取ろうとする国が有ります。GDP世界2位の中国です。そこでブータン(GDP世界165位)はGDP世界6位のインドを頼っています。幾ら国内だけで国民の幸福度を上げようとしても、国防力が無いところに他国による邪魔が入れば達成できないと言うことです。
そしてそのもう一つの例が幕末の日本です。幕末の日本を訪れた欧米人は質素ながら豊かさを享受してる日本の庶民の姿を見ています。ブータンと同じですね。
例えば1858年に日米修好通商条約調印の際のアメリカ側の通訳兼書記だったヘンリー・ヒュースケンは『日本日記』の中で、「いまや私がいとおしさを覚えはじめている国よ、この進歩は本当に進歩なのか? この文明はほんとうにお前のための文明なのか? この国の人々の質素な習俗とともに、その飾りけなさを私は賛美する。この国土のゆたかさを見、いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、そしてどこにも悲惨なものを見いだすことができなかった私には、おお神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、西洋の人々が彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思われてならないのである。」(注2)と書いています。
ヒュースケンの憂いと裏腹に日米修好通商条約の結果は不平等条約です。如何に国が国民の幸福を追求しようと、国防力が無いと周囲の国はそんな夢さえ見させてくれないのです。仮に欧米列強に日本人がGNH(国民総幸福)の優位さを言ったとしても、欧米列強の人は聞く耳を持たないでしょう。
国防力はGDPと密接に結びついています。そこで明治政府が富国強兵政策に舵を切りましたが、江戸幕府200年間の国防無策の遅れを取り戻すことは出来ず、結果は大東亜戦争の敗戦になりました。大東亜戦争は軍部独走によるものでは有りません。元々対等な軍事力ではない国同士の関係は支配か服従しかないのです。日本が戦争の手段を選ばなくてもアメリカは日本を屈服させたでしょう。
それが現在の日米関係です。その関係がどういうものか。例えば、従軍慰安婦問題が事実に基づかないにも関わらず、アメリカ政府もそれを百も承知であるにも関わらず、アメリカ政府が日本に韓国への謝罪を要求した例を見れば明らかでしょう。理不尽な事を従わせるのが支配国。理不尽な要求を従うのが従属国です。当然、支配国が従属国による別の価値観、例えば国民の幸福度を追求する価値観など認める訳が有りません。
その干渉が嫌なら、支配国の価値観の押し付けを拒否したいなら、もう一度明治の富国強兵政策の精神に戻り、GDPを上げ国防力を強化するしかないのです。
「これ以上便利さを追求すべきでは無い」とか「これ以上の経済発展は不要」とか言っている大学教授(注3)がいましたが、分らないでもありません。質素な生活をして幸福を追求するのが彼の理想なのでしょう。でもその理想郷を作っても国防力が無ければ他国によって邪魔されるのです。そしてGDPが高くないと必要な国防力も得ることは出来ないのです。
究極のところ、GDPを上げる意義は国防の為となります。
注1:図2は超長期GDP統計の日本の部から作成
注2:参考文献:青木枝朗訳『ヒュースケン日本日記』岩波文庫
注3:池内了名古屋大学名誉教授。「九条科学者の会」呼びかけ人。