財務省が「平成27年度末の公債残高は807兆円に上ると見込まれていますが、これは税収の約15年分に相当します。 つまり将来世代に、大きな負担を残すことになります」と言っていますが、経済学が分らなければこの言葉に惑わされて消費増税を容認し、逆に日本経済を悪化させてしまうことになります。
そこで経済学の基本中の基本を認識しておく必要が有ります。それは何かと言うと、世の中のお金は全て誰かが銀行から借りてくれたおかげで存在していると言う事です。確かにお金は経済活動にかかせないものなので、全ての人が銀行から借りているお金を返済したら国中からお金は消え失せ、日本経済活動は成り立たなくなります。
お金は無から生じた物なのです。銀行には預金者から預かった額以上のお金を貸し付ける『信用創造』と言う仕組みが有りますが、これは正にお金が無から生じる事を表しています。
では『信用創造』で貸し付けたお金が返済されなかった場合、銀行は困るでしょうか。制度上は困る事になっていますが、無い物を貸し付けた銀行にとっては、痛くも痒くもないでしょう。(参考)
そこで国の借金の話ですが、国の借金の半分程は日銀の国債買い入れによるものです。では日銀はその買い入れ資金は何処から調達してきたのでしょうか?。これも無から生じたお金です。未来の架空の人からの借金と言っても良いかも知れません。その未来の架空の人は、一千兆円だって一京円だって用立ててくれる大金持ちなので、将来の日本人が借金を踏み倒しても文句は言わないでしょう。踏み倒しが嫌で有れば、またその未来の架空の人に借金すれば良いのです。従って財務省が「将来世代に、大きな負担」と言ったら、「だから何?」
経済学なので、もう一つ知っておくべき事があります。それは
・国内総生産(GDP)=民間の消費+民間投資+政府支出+純輸出
(純輸出=輸出-輸入)
と
・税収=名目GDP×税率×税収弾性値
の式です。
輸出と輸入がトントンとすると、純輸出はゼロ。民間の消費のお金は「お金は誰かが銀行から借りてくれたお金」の結果から生じたもの。政府支出は税収と国債発行によるもの。結局の処、GDPは民間投資(銀行からの借金)と政府の借金(日銀からの借金)の量で決まると言って良いでしょう。つまり誰かがもっと借金をしなければ、GDPも税収も落ち込むのです。
ここで初めてGDPとは何か?、何故GDPが大きくないといけないか?、とGDPの意味、意義を考える事になります。結論から言いますと、GDPを上げる意義はズバリ国防の為です。
GDPを上げる意義については後のエントリーで説明しようと思いますので、皆様も考えて見て下さい。
参考:大借金を抱え大企業に吸収された会社の社員さんが、そのときの経験を話してくれました。私「結局その大借金は吸収した大企業が払ってくれたのですか?」、社員さん「いいえ。全てチャラです。計測器メーカだったので殆ど社員は技術畑。皆首をひねっていました」。銀行にとっては架空のお金を貸したので、お金が返ってこなくても痛くも痒くもなかったのでしょう。そんな処です。
1. 無題
しかしその記述にはとても違和感を覚えます。
おそらく違和感の理由は市中銀行(みずほ銀行とか三井住友銀行、常陽銀行等々)と中央銀行(日本銀行)がごっちゃになっている記述だからだと思います。
市中銀行が家計や企業から集めた預金を元手に貸付ことで預金が増える『信用創造』と、中央銀行の『通貨発行権』とは別物です。
『信用創造』で貸し付けたお金が返済されなかった場合、銀行は困るでしょうか。困ります。なぜならその元手は国民の預金なので、その預金者は自分の預金を守ろうとして取り付け騒ぎにつながり、その銀行は業務を続けられなくなるでしょう。
『信用』を無くせば『信用創造』は成り立たないということでしょうか。そんな話以前に回収できない不良債権が大きすぎたらどうなるかは、リーマンショックを思い出せばすぐにわかることです。
さらに『信用創造』は、お金を借りてくれる人が前提となっているので、借りてくれる人がいなければお金を増やすこのメカニズムは働かず、増やせるお金には限界があります。
一方で日本銀行はお金『通貨』を自在に発行できます。2013年からの『黒田バズーカ』で日本銀行は、市中の国債を年間80兆円とか買い続けましたが、そのお金はどうやって用意したのか考えれば理解できるでしょう。
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