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皇位継承につて、河野太郎氏が女系論者から男系論に舵を切ったと思っている人がいると思いますが、最近河野氏が言ったことは、「男系で続いてきているというが、日本の天皇の一つのあり方なんだと思う」と、男系は選択肢の一つのようです。従って女系論を引っ込めた訳ではありません。
でも昔の人が、継体天皇はもとより現在の天皇の直系である光格天皇も、男系で続かせるために遡ってでも傍系の人を天皇にして皇統を続けさせる努力をしたのに、男系が一つのあり方と言っているのは何でしょうか。
では次の動画を見て下さい。文字起こしをしてコメントを入れました。
赤が河野氏の発言、黒がコメントです。
動画
「愛子内親王を次ぎの天皇として受け入れることも有るのでは無いか」
誰がそのような事を言っているのですか?。
まず皇室は現在の日本人が作りだしたものでは有りません。正式な皇位継承者である秋篠宮文仁親王殿下、悠仁親王殿下を差し置いて愛子内親王殿下を天皇にしたい意見があるのなら、天皇を人気投票で選抜するような意見も有りでしょう。勿論それは皇室とも天皇とも別のものです。
「最近男系で維持されているから女系は駄目だと言うけれど、本当に600年前に分かれた人が戻って来ても、それが万世一系と言えるの?」
勿論言えます。今上陛下も文仁親王殿下も悠仁親王殿下も旧皇室の男子も神武天皇の系統が続いていますので万世一系と言えます。
「じゃあ遺伝子を調べて微妙に違いが有ったらどうなの?、という事を考えないといかんと思っています。女系だと別系統になると言っても、じゃあ600年前に分かれたのは別系列ではねえのかと言うとですね、思わない人も沢山いるんだろうと思います」
文章が変ですが、600年前に分かれたのは別系列と思う人がいると何が問題なのですか?。変な意見を言う人は一杯います。それを取り上げる方が異常です。
「遺伝子の問題じゃないと言うけれど、男系だと言うのはY染色体が繋がっているぐらいの話であって、ようするに遺伝子の問題なんですよ。遺伝子以外何が有るのか」
女系になると、神武天皇から繋がっているY染色体が皇室から途絶えることになります。つまり日本を作り上げた人がどのようなY染色体だったかの情報が失われるのです。
これに付いてはもっと重要な話があります。天皇のY染色体はD1a2a1bと考えられています。これは複数の、天皇を出自に持つ人達のY染色体が何れもD1a2a1bだったからです。
このY染色のD1a系統は世界中で日本列島の大和民族とアイヌ民族しか見いだせないY染色であり、縄文人のDNAと言われています。
近年アイヌが日本列島の先住民だったとのプロパガンダが行われていますが、間違いです。アイヌは鎌倉時代に北海道に移り住んだ民族で、日本には数万年前に縄文人が移り住んでおり、縄文人が日本列島の先住民です。そして天皇はその先住民の長の一人だったのでしょう。
つまり天皇は海外の王朝の殆どが征服王朝なのに、日本では王朝、即ち天皇は先住民の王朝だったのです。
ところが一度女系天皇にすると、世界でも稀な先住民による王朝の証拠が失われるのです。
「国民のために一生懸命皇室が努力されている、その皇室を大事にするのか600年前に分かれた血統を大事にするのか、そういう議論だと思います」
何を言いたいか意味不明です。何と比較したのでしょうか?。600年前を持ち出して旧皇族を貶めるようとする魂胆は見え見えです。
「だから僕は簡単に女系は駄目だ(と言う人)がいるけれど、そんな事を言って600年前の方を元に戻して、本当に国民しっかりと受け言え入れられるのかどうか、そこは議論がいるんだろうと思います」
この動画では、河野氏は自分の意見を隠して第三者的な言い方をしていますが女系天皇推進の確信犯でしょう。次期天皇は悠仁親王に決まっているに関わらず、愛子天皇の話を持ち出してくるのは、むしろ皇室解体論者であり反天皇の確信犯のように見えます。
こんな人間が総理になったら皇室は解体され、皇室が解体されると日本は無くなります。実はそれが目的かも知れません。
先日、林千勝先生が講演で「自他不二」という言葉を引用されていて、数年前に先輩から教えて頂いた色即是空というのを思い出した。
色即是空(しきそくぜくう、色これすなわち空)
目に見えるもの「色」は、もとは「空」という世界から生まれた。「空」は必ず「色」という個別の様相をとってこの世に現れる。もとは「空」だが「色」にはそれぞれ区別がある。すべてのものは根本的につながっていて、単独で存在するものはない。宇宙に存在するものすべて目に見えないエネルギー(空)の様々な表現形態(色)である。
ということらしく、他にも「色心不二」「私がなければみな私」「情けは人の為ならず」など、私の信頼する先生達も、概ね同じことを引用して言っている。
これが分かると今までピンと来なかったことが理解できたり、スーッと腑に落ちることがある。
「すべての生命がつながっている」
「人間の心(良心、仏性、神性)が宇宙の心と通底する」
「天壌無窮は永遠を表すと同時に現在を意味する。過去も未来も今において一つ、歴史は永遠の今の展開。歴史の根底にはいつも永遠の今が流れている」
「大御心には皇祖皇宗の御心と我が国の無限の将来が生きている」
「我が国一切の文化は國體の具現化」
逆の意味で理解できることもある。
フランクフルト学派の批判理論(critical theory)
「現代人は自然、社会から疎外されている。社会は常に悪い。原因は伝統的文化。疎外を取り除くため文化を否定、破壊するという理論」
リベラルの多文化主義
「異なる文化が少しでも傷つけあう可能性を排除するという名目のもと、すべての文化は並列化されるべきとする考え。」
自由、平等、博愛などの普遍的価値「空」を実現させるために現れた形態が、多種多様な伝統的文化、言語、共同体精神など「色」ということではないかと思います。
林先生は「共同体精神が分かりにくいのは、西欧近代合理主義によって本来、自他不二のものをバラバラにされているのが原因」ということをおっしゃっていました。
グローバリスト達は、「色」のせいで疎外がおきて「空」が実現できないだとか、多種多様な「色」の区別と少数派「差別」とをすり替えたり、並列化を主張し多数派の土着文化を否定したりと、したたかに「色即是空」をバラバラにし、結果的に多種多様な文化を否定し、結果的に自由、平等をも破壊している。
我が国は古来より普遍的な価値「空」を君民一体で表現し、多種多様な「色」を創造、調和させ発展してきた共同体です。敗戦で一時的に破壊されてしまった共同体精神を取り戻す、復古することが現代日本人の「色」となるよう少しでも尽力したいと思います。
学生時代、学校の“お勉強”が嫌で仕方なかった自分は、親に「お勉強はなぜしなくてはならないのか?」と尋ねた際「良い高校に入って、良い大学を出て、(給料の)良い会社に入るのが幸せで、将来楽するために今頑張りなさい」というような返事を受け、到底納得できず、やる気も起きず、腑に落ちないまま学生生活をやり過ごしました。
それらのモヤモヤが晴れてきたのは30余年たったつい最近のことです。明治維新以降、学問は立身出世のための手段となりはてたこと、親の世代は戦後教育で徹底的にユダヤ普遍主義(個人主義)を叩き込まれていることなどを知り、自分の腑に落ちない感覚は間違っていなかったのだと腑に落ちました。
さらにその感覚をより腑に落としてくれたのが、水戸藩九代藩主、徳川斉昭公の時代に記された弘道館記の解説本(水戸の碑文シリーズ2 水戸烈公と藤田東湖『弘道館記』の碑文 但野正弘著)でした。その中に、忠孝无二(ちゅうこうになく)文武不岐(ぶんぶわかれず)学問事業(がくもんじぎょう)不殊其效(そのこうをことにせず)という一節があります。
「忠」は天皇陛下の本業、大御心への奉仕、「孝」は国民各々が親に誠を尽し、人倫道徳を正しく踏み行うことで、孝も忠の内であり、忠孝は人々の身近にある。→忠孝无二
「文」は学問を通し道義、道徳、為すべき道を究明すること、「武」は実践、実行に移す武勇。「文」のみでは軟弱で、いざという時役に立たない。「武」のみで学問を怠れば正邪の判断がつかず蛮勇、暴力になり、それは武勇ではない。→文武不岐
「学」は道を学ぶこと、「問」は道を問うこと、「事業」は究明した道を実地に行うこと。→学問事業
学問と事業とは、その效(働き)を別個に考えてはならず、一つの精神で貫かれていなければならない。→不殊其效
自分が学生時代に知りたかったのはまさにこういったことでした。文武不岐、学問事業に似たような言葉で“文武両道”というものはありましたが、それは試験の成績が良く、且つ運動部でも活躍し双方を両立させていること、頭も体もバランスよく鍛えよ、程度のことで、決して十分とは言えない意味で使われていた気がします。我が国にはすでに江戸時代から国柄を基にした教育があったにも関わらず、戦後、大本を曖昧にした上辺の教育が、気付かれぬよう巧妙に今も行われています。アメリカも上手いことやってくれたもんだなあと思いますが、当人たちもここまでうまくいくとは思っていなかったのではないでしょうか。日本の自主独立を阻止したいアメリカの意を継いだ敗戦利得者たちが、戦前の教育に、軍国主義→戦争といったレッテル張りをして触れさせないよう必死になっているというのは、戦前の教育にこそ、自主独立に重要な、国柄を基にした本来あるべき教育があるからに他なりません。
もしも冒頭の問い「なぜ勉強が必要か?」に対して「国民各々が日本人としての道義、道徳、為すべき道を学び、問い、究明し、それを実践で正しく踏み行い、自らの分を尽すことで親、先祖、同胞、子孫へ孝行し、そのことが天皇陛下の大御心(国民の幸せと安寧をお祈り下さる心)への忠義を為し、その調和を君民一体で窮まり無く創造発展させるためですよ。」という返答があったら、私は猛烈に勉学に励んだ…かどうかは分りませんが、大いに納得はしたと思います。